2014年09月27日
3年を乗り切り、そして小阪ゆきさんを偲ぶ
久しくブログを更新できていませんでした。
その間、おかげさまでとてつもなく仕事をいただきました。
この9月末で弊社は3年目を終え、4年目に入ります。
起業当初からは想像もできない今があります。
おかげさまで順調に成長してきました。
これから先、地に足つけてお役に立つための足場固めができた3年であったと思います。
ベンチャー企業でいうところのデスバレー。
つまり「死の谷」。
それがそれほど死ではなかったのは支えてくださった皆様のおかげです。
それによって地に足つけて、4期以降に取り組むことができます。
本当にありがとうございます。
さて、そんなタイミングの今ですが、とても辛い別れがありました。
前職のサラヤ時代、多くの仕事でお世話になり、多くの学びをくださった先輩が亡くなられました。
小阪ゆきさん。
サラヤ関係者以外は誰もご存じないかもしれません。
でも小阪さんの業績は世の中に広く伝わっています。
デザイナーとして長きにわたり、サラヤに貢献され、52歳の若さでこの世を去られました。
ここ2~30年のサラヤ商品で小阪さんがノータッチの商品はないと思います。
それくらい影響力の大きい方です。
在職時、小阪さんとは本当にいろんな仕事を一緒にしました。
いつも思っていたこと。
仕事に絶対に手を抜かない。
絶対に妥協しない。
仕事に対して鬼でした。
プロフェッショナルでした。
会議でたくさん衝突しました。
議論しました。
喧嘩もし、笑いもし、そして未来を語りました。
私が起業する直前、癌であることがわかりました。
仕事の鬼が仕事できなくなりました。
起業した私は迷いなく小阪さんに会社のロゴを頼みました。
なぜか?
在職時、プレゼンの勉強会を社内で提案した時に、いの一番に参加を表明してくれました。
仕事の上で私のポリシーを理解してくれていました。
そして起業の想いを共感してくださいました。
他に頼む人がいるわけがありません。
病魔と闘いながらもいくつものロゴパターンを提案してくれました。
一方的に伝えるのではなく、双方向のコミュニケーションであることをどう伝えるか?
まさに鬼の形相で考えてくださいました。
それが冒頭のロゴです。
会社員時代、こんなことがありました。
業績が悪化した時。
その原因となった不良在庫の山を倉庫に見に行くことがありました。
三重県の倉庫まで見に行った帰り。
運転する私に小阪さんが語りかけました。
「積んであった商品、どれもこれも、作る段階で疑問に思ってた商品ばっかりや」
この言葉がぐっさりと胸に刺さりました。
つまりプロセスで問題のある商品はやっぱり問題なんです。
これはプレゼンでもそう。
食品安全のHACCPでもそう。
プロセス管理が大事なんです。
小阪さんはそれが見抜ける人でした。
プロでした。
仕事に妥協しない。
仕事に甘えを持ち込まない。
そんな姿勢を受け継ぎたいと誓います。
弊社のロゴが小阪さんの作品である以上、私は毎日小阪さんと会えます。
叱咤激励してもらえます。
そんな小阪さんを皆様に少しでも知っていただけたら嬉しいです。
故人を偲び、故人の冥福を祈り、故人とともにこれからも歩んでいきたいと思います。
この9月末で弊社は3年目を終え、4年目に入ります。
起業当初からは想像もできない今があります。
おかげさまで順調に成長してきました。
これから先、地に足つけてお役に立つための足場固めができた3年であったと思います。
ベンチャー企業でいうところのデスバレー。
つまり「死の谷」。
それがそれほど死ではなかったのは支えてくださった皆様のおかげです。
それによって地に足つけて、4期以降に取り組むことができます。
本当にありがとうございます。
さて、そんなタイミングの今ですが、とても辛い別れがありました。
前職のサラヤ時代、多くの仕事でお世話になり、多くの学びをくださった先輩が亡くなられました。
小阪ゆきさん。
サラヤ関係者以外は誰もご存じないかもしれません。
でも小阪さんの業績は世の中に広く伝わっています。
デザイナーとして長きにわたり、サラヤに貢献され、52歳の若さでこの世を去られました。
ここ2~30年のサラヤ商品で小阪さんがノータッチの商品はないと思います。
それくらい影響力の大きい方です。
在職時、小阪さんとは本当にいろんな仕事を一緒にしました。
いつも思っていたこと。
仕事に絶対に手を抜かない。
絶対に妥協しない。
仕事に対して鬼でした。
プロフェッショナルでした。
会議でたくさん衝突しました。
議論しました。
喧嘩もし、笑いもし、そして未来を語りました。
私が起業する直前、癌であることがわかりました。
仕事の鬼が仕事できなくなりました。
起業した私は迷いなく小阪さんに会社のロゴを頼みました。
なぜか?
在職時、プレゼンの勉強会を社内で提案した時に、いの一番に参加を表明してくれました。
仕事の上で私のポリシーを理解してくれていました。
そして起業の想いを共感してくださいました。
他に頼む人がいるわけがありません。
病魔と闘いながらもいくつものロゴパターンを提案してくれました。
一方的に伝えるのではなく、双方向のコミュニケーションであることをどう伝えるか?
まさに鬼の形相で考えてくださいました。
それが冒頭のロゴです。
会社員時代、こんなことがありました。
業績が悪化した時。
その原因となった不良在庫の山を倉庫に見に行くことがありました。
三重県の倉庫まで見に行った帰り。
運転する私に小阪さんが語りかけました。
「積んであった商品、どれもこれも、作る段階で疑問に思ってた商品ばっかりや」
この言葉がぐっさりと胸に刺さりました。
つまりプロセスで問題のある商品はやっぱり問題なんです。
これはプレゼンでもそう。
食品安全のHACCPでもそう。
プロセス管理が大事なんです。
小阪さんはそれが見抜ける人でした。
プロでした。
仕事に妥協しない。
仕事に甘えを持ち込まない。
そんな姿勢を受け継ぎたいと誓います。
弊社のロゴが小阪さんの作品である以上、私は毎日小阪さんと会えます。
叱咤激励してもらえます。
そんな小阪さんを皆様に少しでも知っていただけたら嬉しいです。
故人を偲び、故人の冥福を祈り、故人とともにこれからも歩んでいきたいと思います。
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